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辞令(任高等科美川小学校訓導)

じれい(にんこうとうかみかわしょうがっこうくんどう)

紙本墨書/一紙/縦22.9×横31.0/明治23年(1890)

 鈴木大拙は明治21年(1888)第四高等中学校に入学するが、授業料が払えず、同年7月に退学、能登半島にある飯田小学校の助手となった。翌22年には能美郡美川小学校に転任し、英語を担当する。この辞令は美川小学校において訓導に昇格した時のものである。翌年には学校を辞め、神戸を経て上京している。

辞令(任真宗大谷大学教授)

じれい(にんしんしゅうおおたにだいがくきょうじゅ)

紙本墨書/一紙/縦21.5×横29.4/大正10年(1921)

 大正10年(1921)3月22日、大拙は真宗大谷大学(現大谷大学)教授に任命される。これはそのときの辞令である。当時の大谷大学は、大正7年(1918)施行の大学令に基づく大学として設立するために準備を進めていた段階であり、広く学界に通じる人材を求めていた。大拙は大谷大学三代学長・佐々木月樵(1875〜1926)や郷里金沢の同窓であり当事京都帝国大学にいた西田幾多郎(1870〜1945)との学的な繋がりから大谷大学教授として招聘された。そして大正10年10月21日に文部大臣より、公立私立専門学校規程第七条によって大拙(英語・印度哲学)、ビアトリス(英語)の教員採用の許可が下りた。

辞令(依願免職大谷大学教授)

じれい(いがんめんしょくおおたにだいがくきょうじゅ)

紙本墨書/一紙/縦25.9×横18.2/昭和35年(1960)

 昭和35年(1960)10月14日に出された大谷大学教授依願免職の辞令。

辞令(付与大谷大学名誉教授称号)

じれい(ふよおおたにだいがくめいよきょうじゅしょうごう)

紙本墨書/一紙/縦26.8×横18.2/昭和35年(1960)

 昭和35年(1960)10月15日に出された名誉教授付与の辞令。大拙は満90歳の誕生日を期して教授職を辞し、95歳で没するまで大谷大学名誉教授に就いた。

身分証明書(大谷大学教授)

みぶんしょうめいしょ(おおたにだいがくきょうじゅ)

紙本墨書/一紙/縦27.6×横19.5/昭和35年(1960)

 昭和16(1941)年度の大谷大学教授の身分証明書(旅客運賃割引証)である。

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